いらっしゃいませ!
ヒロノカフェにようこそ。店長の中井 宏俊です。
前回は「結婚したいけど出来ない、最近の結婚事情」というテーマで記事を書いております。
この記事の最後に、私は結婚のメリットを3つ挙げています。
- 何かあっても最後に支えてくれる人がいる
- 妻や子供によって自分が成長出来る
- 人生最期を自分が好きな人たちに見送ってもらえる

今回はこの3つを詳しく解説します。その解説を読むことによって、
- パートナーと今結婚したいけど悩んでいる
- お金がないから結婚を諦めている
- 結婚に良いイメージがない
これらの悩みを持つ人たちが、何か行動を起こせるようになると思います。
何かあっても最後に支えてくれる人がいる
今の時点で同棲しているカップルの方々、ご結婚をされていてパートナーと共に生活されている方々。
そういう方々がこの記事を読んでいただいていると思います。また、多くの読者の方々が共働きなのではないでしょうか。ちなみにこれを書いている私も、共働き世帯になります。
仕事をしていたり、様々な活動、行動をしているとこんなことはありませんか?
- 上司や同僚からの理不尽な叱責や指摘
- 部下や後輩の問題や管理の難しさ
- お客さんからの理不尽なクレームや要求を受ける
- 他人からのやっかみや僻み、誹謗中傷
生きている上で、どうしても周りの人間とぶつかってしまうことは、現代社会では避けて通れないことだと思います。
皆さんも仕事関係や、対人関係で消耗することはありますよね。決め付けてはいけないでしょうが、大なり小なりあることなのかなと。
ちなみに私は過去にありました。一般企業のサラリーマン社員だった2006年に、うつ病の一歩手前まで追い込まれたのです。自律神経失調症で、お客さん先で目を回して倒れてしまったのです。

そんな中で、もし孤独で、独りで、誰も自分の考えを理解してもらえなかったとしたらどうですか?
お客さんや、上司や、同僚や、後輩や部下は守ってくれますか?
親・兄弟はあなたの相談に親身に乗ってはくれるでしょうが、自分の身内にその自分の辛さやしんどさを正確に伝えられますか?
私も自律神経失調症になった時、自分のしんどさ、辛さを正確に両親に伝えることは出来ませんでした。会社を数日休んだ事は後になって伝えましたが、それくらいです。20代半ばにもなって、親に心配を掛けたくなかった、という考えもありました。
上司や同僚や後輩は、私の仕事の負担軽減のために頑張ってはくれました。それでもどうしても、お客さんの意見やスケジュールが優先にはなってきます。しかも当時の私はなかなか周りの社員にヘルプをお願いするのが苦手だったのです。
何故かと言うと、
- みんなそれなりにしんどい思いをしているのに、自分だけしんどいと言い出しにくい
- これくらいは自分で出来ないでどうする!という気持ちが強過ぎて、他人に仕事を振る事がどうしても出来なかった
今思えば「プライド高かったんやなぁ。しょーもないことで悩んでたなぁ」と思いますが、当時の私としては深刻な問題で、そのせいで体調を崩すほど精神を壊しかけていました。
その時の唯一とも言える心の拠り所は当時の妻でした。
私はバツ1なので、1回目の結婚の時に一緒になった元奥さん、ということになります。彼女がいなければ、きっとあの時の私は自ら命を絶つという選択肢も十分あり得たと思います。
そんな時に、前妻からこんな一言が。
「あなたが仕事を辞めても、私が働いてるし何とでもなるよ。大丈夫」
その言葉がどれだけの救いになっていたか。感謝してもしきれません。それは離婚した今でも変わりません。
そう、何かあっても最後の最後に味方になってくれたり、支えてくれる。それがあるから信じて次の一手を打てるし、心が強くなります。
私は今も昔もこう考えています。
妻とは、一番(色んな意味で距離感が)近い他人
両親。兄弟。学生時代の友人。会社の上司や同僚や後輩。どんな身内や他人よりも、誰よりも信頼が出来る他人。
それが夫であり、妻である。そう私は考えます。

私は前妻の言葉に後押しされて、倒れてから1年後に会社を辞めて、理学療法士を目指すべく、専門学校に入る決断をしました。
当時、勤めていたのは東証一部に上場している企業。普通に考えるなら辞める手はないでしょう。元々から安定的な思考の持ち主だった私が、もし独り身だったら辞めずに心身を壊しながら騙し騙し仕事をしていたに違いありません。
これは妻がいたからこそ出来た行動なのです。
妻や子供によって自分が成長出来る
独り身で、一般的な会社員とかだと、会う人が職場の人か、お客さんか、両親や兄弟など、ある程度限られてきます。知識などは本を読んだり、今時ならYouTubeを観たりして深めたり増やしたりすることは出来ると思います。
でも、人間的な成長というのは、なかなか読書や動画などで得にくい要素のものになります。
年齢を重ねれば、当然その分の経験値を得られますので、人間的な成長は普通に進むと思います。でも『普通』なんです。
その点、奥さんや奥さんとの間に生まれた子供、養子などの存在というのは、以下に記載するような、素晴らしい経験を与えてくれます。
- 人間的に成長する
- 人間としての魅力や深みが増す
- 人生を豊かなものにする

何故なら、一番近い他人である妻の意見や考え方というのは、『身内』の視点でもあり、『他人』の視点でもあり、そういう立場の人間の意見に常に触れられるのは、独り身での生活では得難いものなのです。だって独り身の場合は、両親や兄弟以外は『他人』ですからね。
私は2度の結婚という、普通の人が経験しない事を経てきたので、とても人生経験が深まったと思います。
そしてこれはとても凄い経験になりますよ。それが、
育児
ですね。育児が何故もの凄い経験になるのかというと、
●全ての育児についての経験が人生で初めてのものだから
●妊娠中の妻も心身の変化という凄まじい経験をする
●その妻のサポートをする夫も人生で初めての経験をする
●父親、母親という役割がそれぞれの人生に足される
からです。
妊娠した時点から、育児というものは始まっていて、しかも妻である女性も、夫である男性も、それぞれ母親と父親というそれまで経験していなかった役割が始まるのです。
皆さん、育児というのは子供が生まれてから始まるものではないですからね。そういう私も妊娠初期の頃の奥さんを見ていても、自分が父親になるという実感が実はあまりありませんでした。表面的にはそう言っていても、心の底ではまだきっと実感というか理解というか、覚悟というものが十分に備わっていかなったと思います。
無事に娘が生まれて、色んな経験をしてきたからこそ、このような内容を皆さんにお伝え出来ているわけです。
両親や兄弟との付き合い。友人や職場関係の人たちとの付き合いだけでは、舌帯に得られない経験が出来る。それが育児でもあり、妻や子供から沢山の事を教わる事が出来ます。

例えば、私が娘を初めて抱っこした写真です。この時の感動やら緊張は一生忘れないと思います。これが例えば甥っ子や姪っ子などでも、似たような経験は出来るかもしれませんが、我が子を初めて抱っこする、という経験は比べられないくらいの感動を経験出来ます。
感動というのは、要するに心が動くわけです。読んで字の如くです。心がこれほど動く経験というのは人生でそう何度もありません。それがパートナーとの間に生まれた子供であれば尚更です。養子であったとしても、様々な審査や面談を経て迎えるお子さんを育てるというのは、とても感動できる経験だと思います。
人生最期を自分が好きな人たちに見送ってもらえる
これは今までの話と少し毛色が違うものになりますね。
皆さん、自分の人生の最期について考えた事はありますか?

私は常にあります。
- 明日死ぬかもしれない。
- 10年後かもしれない。
- 娘が成人したくらいかもしれない。
- 娘が結婚する頃かもしれない。
- 娘が孫を産んでくれる頃かもしれない。
こんな事を考えています。だからこそ、明日死んでも後悔しないように、精一杯生きよう。そのために仕事もだけど家事も育児も全力でやろうとしています。
男性と女性。どちらが長生き出来るかと言えば、平均寿命のデータから見て、女性が長生きしやすいのは間違いないでしょう。
となると、恐らく私たち家族で言えば、見送られるのは私が先になる可能性が高い。そもそも私は元々が『太く短い人生でいいかな』と思っていた人間なので、若い頃から、もし見送られるなら私がパートナーより先かな、と思っていました。
その最期の時、どうせなら泣きながらも笑って見送って欲しい。そんな見送ってくれる家族が欲しい。そう思っています。そしてそんな家族に見送られながら、
良い人生やったなぁ
と思えるようにしたいのです。

仮に妻を見送る方が先になった時、私は泣きながらも精一杯の笑顔で見送ろうと決めています。何年先に心配をしているやら、ですが。
私は理学療法士という医療系の国家資格を持っており、普段は病院で仕事しています。仕事柄、こういう患者さんを見ることが少なくありません。
- 身内と絶縁状態
- 身内が既に皆さん他界されていて、孤独な状況
- 身内はいるにはいるが疎遠になっており、実質は絶縁
- 社会的入院で、身内は近くにいるのに、亡くなるまで面会に来ない
こういう患者さんを最期まで担当することも多くはないものの、あるにはあります。理学療法士になって10年になるので、それなりに見てきました。
寂しく晩節を過ごされていて、リハビリの最中に泣く方もいました。
寝たきりの状態で意思表示も難しく、ご自身の状況をどこまで理解出来ているか、こちらもわからないまま、そのまま最期を迎えた方もいました。
こうなると、最期を見送るのは施設の職員やケアマネージャーさん、という状況になることも少なくなりません。お墓も共同墓地に埋葬される事もあります。
そういう状況になったのは誰もせいでもありません。そうなったことを誰も責めることは出来ないのです。
だからこそ、結婚するからには、自分の最期、ということについても考えていて欲しいのです。
死んだら土に還るだけ
という考え方もありますが、「いい人生だったな」と思える最期を迎えて欲しい。傲慢かもしれませんが、医療従事者としての私個人の考え方になります。
いかがでしたでしょうか。
ここまでご紹介した内容で、皆さん気付いたでしょうか。
お金に関係するお話は一切出ていないということなのです。
どうしてもお金は必要です。でもそれだけで夫婦関係や子供も含めた家族と言う関係を考えて欲しくないのです。私のここまでの話を通じて伝えたい本質はただ1つです。
結婚の価値はプライスレス!
お金じゃないですよ。いや、お金も大事ですが・・・
今回はここまでになります。
次回をお楽しみに!
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